今回はわたわたの高校時代の受験勉強の遍歴をたどりたいなと思います
私はもともと勉強が苦手で…と良く聞く走り書きになりますね(笑)本を読んでると五万と見るので読書は本当かよ?ってなります。ただ私は自頭も良くないし勉強も嫌いでしたそんな私が勉強に熱中するきっかけなどを赤裸々に紹介していこうと思います。これを読めば現状勉強に対してモチベーションが上がらない方の役に立つかもしれません
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なるほどポイント
- 馬鹿高校のゆるテストで勉強できると勘違い
- 地元の予備校で周囲との違いに愕然とする
- センター試験でこけて私立一択に
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馬鹿高校のゆるテストで勉強できると勘違い
遡ると中学校です、野球に明け暮れたわたわた少年にとって勉強は「なぜやるのか?」という代物でした。中学のテストは250点満点中120点くらいでしたでしょうか。50点満点で基本的に20点前半ばかりだったと思います。それでも塾に行くようになって150点くらいに上がりましたが中学校はその程度でした
高校はそのくらいで入れるような地元の馬鹿高校に入学。国公立に入れるのは年間1人2人というレベル。薬学部に入る人は浪人必須という舐めた高校でした。あくまでも当時はという話です(笑)
わたわた少年は高校でも白球を追いかけましたが、どうにも先輩、同期、監督との相性が悪くて辞めたくなりました。そんな時に1年生の中間テストがあったんです。少し勉強すれば80点以上(100点満点)という高得点ばかり。中学校の時に40点以上(50点満点)などとったことない私からすると調子に乗るのに時間はかかりませんでした
その時から勉強したいなと思うけど、部活で時間がなくて出来ないという遠距離恋愛状態。私は少しずつ勉強したいなと思うようになってきたんです。同時にどうやってこの地獄の様な部活から逃げ出そうと考えていました。当時の私からするとカイジが地下の強制労働施設から地上に出るくらい野球部を辞めるのが大変でした。夏の大会が終わってすぐに監督のもとへ辞めることを伝えに行きました。職員室じゃなかったら殴られてたんじゃないかなと思う剣幕で「野球部辞めたやつは皆クズになってる!」と言われました。今なら録音してSNSで晒すところですよね(笑)唯一の救いはそれを見ていた学年主任の先生が「お前、薬学部に行くなら相当勉強しないとうちからはいけないぞ」と背中を押してくれたことです
それから夏休みの間は地元の図書館にこもり勉強をしていました。わたわた少年は年上に頼ることは得意だったので教科ごとの先生にどうやって勉強すべきかと聞きました。そうすると学校には参考書の見本がたくさんあるので、これをやれとくれる先生もいました。今思えばここで英語のNEXTSTAGEをもらったのが大きかったです。これは英語の文法問題集で載っている問題は入試の良問ばかり。これをベースに単語を覚えたりして英語は最終的に偏差値65くらいは行きました
そんな感じで夏休みあけのテストで学年トップになった私はいよいよ調子に乗って、有名人にでもなった気分でした。野球部は去る者追わずという訳でなかったので、同級生や監督からも多少の嫌がらせは受けました。いまだに野球部時代の嫌な夢は見ます。学年トップになると周囲を見下すようになりますので、授業にも満足できなくなってきました。それで2年生に上がる前に地元の予備校に通う決心をしました
地元の予備校で周囲との違いに愕然とする
予備校の入塾試験という名のクラス振り分け試験は英語と数学でした。英語は受験レベルの文法をやっていたので、地元の進学校の連中と授業が同じでした。ここで唖然としたのがかれらの授業進捗の遅さでした
進学校ではⅠAⅡBが2年生の1学期に終わっていますが、馬鹿高校では2年の3学期でギリギリ終わらせるようなカリキュラムでした。なので予備校で習うのは全く知らない状態での微分や数列だったのでついていくのが大変だったんです。なので学校での授業は私だけ全く違う勉強をしていました
今思えばここでしっかり予備校の復習をしておくべきだったと後悔です。先に言いますがわたわた少年の受験での失敗は「復習をしなかった」ことにあります。模試でもやりっぱなしで復習しませんでしたし、夏期講習などを受けても復習はほぼやりませんでした。多くの問題に触れることはできましたが中途半端で終わってしまったということです。ただここでの後悔は薬学生となったときに活きました
ここまで読んでもらうとわかると思いますが、私は受験勉強の開始が異常に早かったです。そりゃあ薬学部くらい受かって当然だろ!って聞こえてきそうです。ただ期間が長いということはそれだけモチベーションを維持するのが大変だったんです。例えばちょっとゲームにハマりだすとそればかりやってしまいましたし。それに学校行事なども全て無駄なものと思っていたので、体育祭なのに出番がなければ勉強しているという始末。こうした学校行事にも少しくらい注力しておけばなとそれも後悔の一つですね
2年生では予備校に通い出して受験勉強を明確なものにしていました。ちなみに私のおかんは和田秀樹さんの受験勉強対策本を買ってきて、なんちゃってカリキュラムを組んでくれました。全く先が見えない私にはそれだけが羅針盤だったように思えました。私は野球部を辞めて無駄金を沢山払わせたので国公立の薬学部に受かるのが目標でした
ちなみに国公立の薬学部が偏差値高いのってご存知でしょうか?なぜかというと私立の薬学部って年間200万くらい授業料かかるんです。それに比べて国公立だと他の学部とほぼ同じで年間100万以下になります。半額以下済むならそっちの方がいいですよね?ってことで偏差値が高いわけです
センター試験でこけて私立一択に
3年生になると周りも受験モードになってきます。私はかなり前から始めていたので余裕綽々でした。実際には周りよりちょっと出来るくらいでしたが…。この時に余裕こいていたのが失速の原因だったなと思います。だらだらやってきた私と部活引退後の急成長を見せる進学校連中だと伸び方は歴然でした
勉強期間が長くなり、私は「参考書を収集」するようになりました。有名どころの参考書はやりもしないのに大体買いました。これは受験あるあるで不安解消のためにやってしまうそうです。ダイエットで例えると運動しないで楽して痩せるグッズを買い漁っている人と同じですね。資格試験の勉強してる方でもこの状況に陥っている方いそうですよね
また受験生は模試を定期的に受けますが、志望校がB判定以上になったことがなかったです。なので徐々に焦りが出てきました、そうすると参考書買いたい病も悪化しました。そしてそれらをやりもしないのに常に持っていないと不安ということでバックが常に重かったです。高校の時は私の机だけ異常に重たかったので掃除の時に放置されてイジメられてるような構図でした
そんなこともあり、私の点数は学年が上がるごとに鈍化していきました。そして迎えたセンター試験、結果は残念なものでした。もともと国語は苦手でしたが、まさかの60点(200点満点)。。。5教科が7割もいきませんでした。ここで私はようやく目が覚めて、おかんに私立に行かせてくださいと懇願しました
正直、私立に行く気もなかったのでオープンキャンパスにすら行ってないどうしよう。そして机に1冊の赤本がありました。ちなみに赤本というのは大学の過去問を過去数年分集めた過去問集です。結論から言うとその大学は私の母校となりました。偏差値は当時58くらいあったのでそこそこ出来ないと受かりません
なぜその赤本があったのかというと2年生の時に大学説明会に参加したんです。よくある集合施設で大学がブースごとに学生を勧誘するようなもの。その参加特典で好きな赤本プレゼントというのがありました。タダならもらってやるかと、とりあえず○○薬科大学と書いてあるのを選びました。まさかそれが私の母校になるとはその時は思いませんでした。ただ私の本棚には常にその赤本があったので潜在意識にあったのかもしれません
受験はとりあえず3大学受験しました。結果から言うと1つの大学しか受かりませんでした。帰りの電車では最後に受けた大学の出来が良かったので合格は確信していました。実際にそこに受かりました
合格通知はオンライン上で確認という形。ネットが重くて落ちたのかと思ったくらいでした。今ならスマホで楽々確認なんでしょうけど。そんな感じで受験でしか行ったこともない大学に入学を決めてしまったわたわた少年でした
いかがでしたでしょうか?これから受験勉強をする方、進路は決まっているもののどう勉強したら良いのかわからない方には参考になるかもしれません。需要があれば教科別や国家試験編もアップしていきたいなと思います。それでは。
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